名勝和歌の浦 玉津島保存会

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2018年 01月 07日 ( 1 )

聖地 名勝和歌の浦 聖武天皇の玉津島行幸 

平安時代まで紀ノ川は、和歌の浦を河口部として流れていました。絵図などにより、歴史上、和歌の浦の範囲は和歌川河口部一帯を指し、北側は高松、東は名草山、南は片男波の砂嘴(さし)、西は雑賀崎までを含むと考えられます。
和歌の浦とはどのような場所、土地なのでしょうか。奈良時代以前、紀ノ川河口部に位置した和歌の浦は、紀伊国の宗教上・経済上・交通上、したがって政治上の最重要地点として存在しました。奈良時代、神亀元年(724)、若き23才の聖武天皇は、玉津島に遊覧し、詔を出す。同行した宮廷歌人山部赤人は、玉津島賛歌を詠む。「若の浦に 潮満ち来れば 潟をなみ 芦辺をさして 鶴鳴き渡る」。聖武天皇や赤人は、河口部に展開する玉津島山の景観を前にして、「玉津島の神・明光浦の霊」をみ、「神代より 然そ貴き 玉津島山」と詠み、玉津島の神代以来の貴さに満たされました。数々の天皇の和歌の浦への行幸。それは、時代の重要な局面に天皇という重い政務についたことを神に報告し、また皇統安泰を、紀伊の神に祈るための行幸と考えられています。
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by tamatusima | 2018-01-07 00:01 | 名勝和歌の浦
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