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名勝和歌の浦 玉津島保存会

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玉津島神社と丹生都比売神社・日前宮

江戸時代後期に作られた『紀伊国名所図会』は、天野社新嘗祭で、この神事とその解説を載せる。
「むかし当社の神輿、玉津嶋のこしの窟に渡御ありて、日前宮の草の宮にも渡らせ給ひしに、故ありて其式廃れしかハ、今ハ祝詞棚といふをつくりて、惣神主、かの方にむかひて祝詞を申すなり」。
天野社の神輿が、玉津島のこしの窟に渡御と日前宮の草の宮に渡御していたが、今は廃絶し、惣神主が玉津島の方を向いて、祝詞をあげるという。なぜ天野社・丹生都比売神社の神輿が、玉津島神社に渡御し、帰りに日前宮に行くのであろうか。この三社は、どのような関係にあるのであろうか。
伊藤信明「天野社・日前宮と玉津島」『和歌の浦 その原像を求めて』によると、「玉津島は天野社の渡御地であり、日前宮・国懸宮の祓い所でもある特別な場所で、玉津島で天野社惣神主と日前・国懸宮の紀国造(惣神主)が共にお籠もりをして新嘗祭が行われた。紀氏と丹生氏の神事の場所であり、両氏族にとって聖地であった。」とする。
和歌山平野を流れる宮井用水。弥生時代から古墳時代初期にかけて紀氏により造られた。紀氏は、武内宿祢の子を先祖とする。日前宮・国懸宮は、この宮井用水の分水嶺に位置する。和歌山で最も古い古墳時代初頭の前方古円墳は、隣接する向陽高校から発見されている。宮井用水の開発は、紀氏が行い、日前宮・国懸宮の惣神主であった。天野社丹生氏も紀国国造の系譜に連なる。和歌山平野に大きな力を持っていた紀氏・その始祖を祀る日前宮。その一族の紀ノ川上流の天野社。紀ノ川河口部に位置する玉津島に天野社神輿が渡御し、帰りに、日前宮草の宮にも渡御した。その紀氏と丹生氏の聖地であった玉津島。豊富な木材により造られた船と巧みな航海術を持つ紀氏。紀ノ川河口部が和歌浦にあった頃、瀬戸内海をとおり、朝鮮半島へ行く玄関口でもあった。大和に政権を持つ天皇家にとって、紀氏はなくてはならない氏族であった。
紀ノ川河口部に浮かぶ玉津島は、いつの時代にも神が住む空間であった。玉津島は、紀氏と丹生氏にとって神事を執り行う場所であり、聖地であった。玉津島での神霊の存在を背景として、聖武天皇の玉津島行幸があったのである。
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by tamatusima | 2018-05-16 00:01 | 玉津島神社・塩竈神社
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