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名勝和歌の浦 玉津島保存会

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あしべ屋妹背別荘

妹背山の南側、妹背山を守る海禅院があった場所に、芦部屋別荘が建っています。現在は、和歌浦西本さん所有の建物です。明治には皇太子も行幸された由緒ある建物です。
「名勝和歌の浦 観月会 竹燈夜IN妹背山」でも和歌山おはなしの会 語りの森が昔話を披露し、活用が図られています。「文化財担当者と学ぶ名勝和歌の浦講座」、1月19日菅原正明先生「御法の山妹背山」、西本直子先生「近代の和歌の浦」の講座においても、旧あしべや別荘が使われます。コンサートや講演会など多目的に名勝和歌の浦で活用できる場所です。
旧芦部屋別荘の南側の丘陵裾分には、「皇太子行啓記念碑」が建っています。明治36年、まさに日露戦争が起こる前年に、皇太子が和歌の浦を訪れています。妹背山のキャラ岩に驚かれ、旧あしべや別荘で休憩されます。奠供山にも登られ、名勝和歌の浦を見られています。
『紀伊名所案内』 (大川民純、1909年) に以下の文章が掲載されています(菅原正明氏経石通信参考)。
鶴賀飛降碑 
「多寳塔の下、少し南の方にある碑(いしぶみ)がそれである。これは新たに建られたもので、去る明治三十六年十月のこと畏(かしこ)くも 皇太子殿下には和歌山に行啓あらせられ、妹背山下の別荘に駕(が)を駐(すす)めさせられた、光栄限りなく、明光浦はますます異彩を加へられた次第で、縣民の歓喜譬(たと)ふるに物はない、そこで芦邊屋主人藪清一郎老人は、畏き御蹟を紀念し奉るため、此の碑を建たものである。篆額(てんがく)は當時の縣知事伯爵清棲家教氏で、文は碩儒(せきじゅ)倉田績翁の謹撰したものである。─以下碑銘文省略─ といふのである、實に結構な紀念碑ではないか、」

中山昇三編『紀伊国旅の友』(1899年) に芦邊屋の広告。芦邊屋は和歌浦にある由緒ある会席料理旅館です。妹背山の背後に描かれているのが、3階建ての芦邊屋です。元々2階建てで、最後は3階建てになります。菅原正明氏「経石通信」より。

近代の和歌の浦を知る際に、現在も建物が健在なあしべや別荘の存在は大きい。あしべや別荘からみる和歌の浦干潟は、静寂に包まれ、落ち着いた和歌の浦の一空間です。今後、西本直子さんにより、活用が図られます。



by tamatusima | 2018-01-06 00:01 | イベント
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名勝和歌の浦の自然・歴史・文化の情報発信


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