名勝和歌の浦 玉津島保存会

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カテゴリ:名勝和歌の浦( 204 )

伽羅岩 きゃらいわ

貝原益軒(かいばら えきけん)(寛永7年(1630)~正徳4年(1714))の諸国めくりに、「妹背山は、みな伽羅の文理(きめ)のことき、薄墨色の石山にて、一山多く一石なり。甚奇しき観(みもの)なり。岩の形勢あやしき事、目を驚せり。凡和歌の浦の石は、皆木理(もくり)ありて甚美也。他州にてはいまた見さる所なり。」と言ってます。
 大坂から海路で来ると、延々と続く白砂青松の風景が続きます。その最後に、吹上の浜です。18世紀後半に造られた精緻で日本で唯一の水軒堤防があり、白砂青松の風景です。そこから和歌の浦雑賀崎。一転して風景は変わります。青石の結晶片岩、その立派さに震えが来ます。和歌の浦干潟に入れば、伽羅岩があります。その一山一石の風景、人々は驚いたことでしょう。
平安時代まで紀ノ川河口部であった和歌の浦。ここから瀬戸内海、そして朝鮮半島へ。古くから多くの人々の往来があり、その神として、玉津島は尊敬を集めています。

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by tamatusima | 2017-12-28 00:01 | 名勝和歌の浦

紀州和歌浦雲蓋院(うんがいいん)御道絵図 嘉永4年(1851)以降

紀州和歌浦雲蓋院(うんがいいん)御道絵図 嘉永4年(1851)以降

 160年以上前の和歌浦です。片男波地区の入江は、既に埋めたてられています。片男波ちくは、畑となっています。天満宮下の御手洗池の中には、鳥居が見えます。
 現在の8の字公園にあった御旅所(おたびしょ)から移転した新御旅所が地図右側に見えます。現在は、市営住宅が潰されて空き地になっています。紀州東照宮の土地です。御旅所移転に際して、不老橋も造られました。嘉永4年(1851)の事です。この翌年、工事を命じた徳川治宝(はるとみ)公は無くなっています。新御旅所に見える石の鳥居は、現在東照宮の入り口の鳥居になっています。また、元の位置に戻す動きもあります。新御旅所、不老橋と合わせて、玉津島神社宮司による奠供山で造られた拝殿での望祀の礼が行われています。この拝殿は、観海閣と同一規模といわれます。奠供山に石垣が残っています。

  




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by tamatusima | 2017-12-23 00:01 | 名勝和歌の浦

あしべ屋

紀伊和歌浦図1 明治26年(1893) 芦辺屋 

 妹背山に渡る三断橋の手前に、江戸時代妹背山が整備された際に、芦辺屋、朝日屋の二軒の茶屋が作られました。その後、芦部屋は長く続きます。明治期の三階建ての芦辺屋には多くの人が遊びます。道には、松は描かれていません。不老橋の横には松が見えます。紀三井寺への渡しの賃金も書かれています。旭橋ができる以前、このあたりは芦辺の渡しと呼ばれ、多くの人が来ました。


紀伊和歌浦図2 明治26年(1893) 芦辺屋

芦辺屋の前に、芭蕉の句碑があります。句碑の前では、多くの人力車が客待ちをしています。句碑は今も健在です。


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by tamatusima | 2017-12-20 00:01 | 名勝和歌の浦

和歌浦湾

熊野参詣道の入り口、海南市藤白坂。その藤白坂を登り切ったところに御所の芝がある。ここから見る和歌浦湾は、まさに人智が及ばない広大な景色である。御所の芝は、花山法皇熊野参詣の折の頓宮と言われ、白河法皇の行宮の跡とも言われます。鎌倉時代、建仁(けんにん)元年(1201)、藤原定家が見、蓮如上人の見た風景。日本遺産です。


    


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by tamatusima | 2017-12-19 00:01 | 名勝和歌の浦

不老橋

100年以上前の不老橋です。干潟の名残の市町川は今と違い、まだまだ幅があります。徳川治宝公により造られた不老橋の位置は、考え抜かれています。この写真からは、名草山の山頂部と不老橋のアーチが同一の輪郭に見えます。偶然の一致ではなく、計算されつくして造られています。干潟を望む位置、大きく開口する場所に造られているのです。
 妹背山多宝塔、観海閣、三断橋の整備を行った紀州藩初代藩主徳川頼宣公は、名草山、その奥に毛見崎、さらに奥に高野山から伸びる藤代の峰々をバックに、和歌の浦干潟を見るための観海閣を造ります。徳川治宝公は、妹背山、三断橋をバックに利用しながら、干潟を見る位置に御成橋、不老橋、また、尊供山に玉津島神社宮司と共に拝殿を造ります。天下の名勝和歌の浦の持つ価値を高めながら、人工的な建造物を絶妙に配置したのです。


明治40年頃(1907)の風景  藤本清二郎『和歌の浦百景』
観光客の4人が釣りをしています。子供は裸足になっています。チヌ、黒鯛を釣っています。

不老橋の修復中です。まずは汚れを落とす作業。
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この二つの石材が、不老橋創建当時のものです。あとは取り換えられています。



 



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by tamatusima | 2017-12-13 00:01 | 名勝和歌の浦

鏡山 

和歌浦から新和歌浦までのあしべ通りは、昭和9年に作られています。その時に、欄干の擬宝珠が付けられました。市町川の横を走るあしべ通りの欄干の宝珠は、既に81年も昔から付けられているのです。当時、和歌の浦ではどのようなことが起こったのでしょうか。

昭和7年 1932この頃、「年々百万以上の遊覧客を吸収している新和歌浦」と言われる。
昭和8年 1933 木村屋旅館開業。
5月、和歌公園の内、玉津島社付近の山一帯に花崗岩の石設置。
6月、和歌浦町、和歌山市に合併。
9月、和歌公園の整備を計画。この時、奠供山―雲蓋山院に大陸橋架橋。
昭和9年 1934 3月27日、佐藤春夫、和歌の浦泊。
5月 和歌浦観光自動車道路(和歌浦~新和歌浦、現あしべ通)整備完成。この時、欄干擬宝珠設置。
7月、和歌浦街道(和歌道)松並木に白蟻、9月の暴風で多数倒れる。残り百数十本あり。
昭和10年 1935 7月、七年ぶりに和歌祭を挙行。
8月、台風のため、片男波防波堤決壊。
10月、和歌浦桟橋の架橋決定。

観光地新和歌浦が全盛です。年間百万人も人が来ています。昭和8年、木村屋も開業しました。奠供山、鏡山、妹背山の花崗岩の階段も設置されています。老朽化のため、撤去された奠供山から雲蓋山の大陸橋も作られました。昭和9年、和歌道には松並木があり、あしべ通も整備されました。和歌の浦の原型が出来上がっています。

妹背山・鏡山・奠供山に設置されている階段は、昭和8年につくられたものです。この年、木村屋も開業します。長い間、頑張っています。
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階段横に松が誕生しました。
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by tamatusima | 2017-12-10 00:01 | 名勝和歌の浦

名勝和歌の浦 妹背山

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反対に焼かれた妹背山。あしべ屋からの撮影でしょう。
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3階建てのあしべ屋。2階建てから3階になっています。松がきれいです。

10日 日曜日 9時から和歌浦小学校で、ボーイスカウト和歌山第2団の餅つき大会があります。奮ってご参加ください。
また、23日 土曜日 9時から和歌浦西正寺で、餅つき大会を初めて開催します。餅をついて、楽しみましょう。
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by tamatusima | 2017-12-09 00:01 | 名勝和歌の浦

奠供山 望海楼遺址

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奠供山の上に建つ望海楼石碑。

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by tamatusima | 2017-12-08 00:01 | 名勝和歌の浦

名勝和歌の浦 冬

空をみましょう。身体が軽くなります。

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by tamatusima | 2017-12-05 00:01 | 名勝和歌の浦

奠供山 

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1910(明治43)年10月から6年間、和歌浦の入り口、玉津嶋神社の西側にある奠供山(てんぐさん)に登るためのエレベーター。
聖武天皇、称徳天皇、桓武天皇、三帝が登り、和歌の浦を愛でたとされます。「ふるさと和歌山市」より。

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by tamatusima | 2017-11-29 00:01 | 名勝和歌の浦
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名勝和歌の浦の自然・歴史・文化の情報発信


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